こんにちは。AYです。
令和時代の1回目の紹介は、

山口周著「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」

です。



 何かのビジネス関係のテレビ番組で著者がコメンテーターとして出演していて、そこで発言していた内容が興味深かったことが本書を選んだきっかけ。これもうろ覚えだが「私が携帯電話会社のコンサルティングをしていたことがある。(著者が以前所属していた)ボストン・コンサルティング・ファームで培った能力を活用して、膨大なデータを集めて分析を重ねて、もっとも売れるであろう商品を開発して世に出した。いざお店に行ってみると、自分の会社の商品がどれか分からないくらい、どのライバル会社も似たような商品を並べていた。」といったような話だった。

2 この本の主張
 乱暴にまとめてしまうと、こんな話である。
 「経営上の意思決定は「論理・理性・サイエンス」と「直感・感性・アート」とをバランスよく働かせることが必要だが、現在の多くの経営者は「論理・理性・サイエンス」に大きく偏っており、これがビジネスの行き詰まりの原因となっている。で、これを乗り越えるためには、「美意識」を鍛えろ、そのために美術館に行って絵を見てこい。」
 「絵を見に行け」の部分はともかくとして、現代の経営の問題点を指摘する部分はとても鋭いもの。理解しておかなければならないものと感じたので、個人的な感想も加えながら、以下、いくつかあげつらってみる。

(1)「正解のコモディティ化」が起こっている
    多くの人が分析的・論理的な情報処理のスキルを身につけた結果、世界中で「正解のコモディティ化」という問題が発生している、という。先の携帯電話の例は、まさにこれ。データ収集、データ分析の手法を皆がある程度マスターできるようになったから、同じ課題に対して皆が同じ答えを出してくる。
    これでは「差別化の消滅」ということになる。皆が皆、頑張って経営手法を身につけると、皆でレッドオーシャンに飛び込んでいくというなんとも皮肉な現象だ。
    昨今話題になるAIなんていうものに経営の意思決定をさせると、多分どの会社にあるAIも同じ答えを出す。ますます「正解のコモディティ化」は進むことになる(やはり、診断士の仕事はAIには不向き?)。
    「差別化」を図るためには、経営者はどうすべきか。経営者に「直感・感性」に基づく判断がより望まれる時代になってきたのではないか。

(2) 世界中が「自己実現的消費」へ向かっている
 マズローの欲求5段階説というのを覚えているだろうか。その欲求の最終的な形態は「自分らしい生き方を実現したい=自己実現欲求」だった。商品やサービスに求められるものも同じ。以前は、機能的便益や価格競争力が求められていて、これには論理的・理性的なアプローチで対応できた。でも、今や途上国に至るまで、そのレベルの商品は満ちあふれている。現在求められているのは、機能や価格は当然のこととして、さらに自己実現欲求を満たす商品やサービスである。
 精密なマーケティングスキルだけでは、こうした状況にますます対応できなくなっていくはず。「感性」「美意識」が重要なのではないか。

(3) システムの変化にルールが追いつかない状況での判断が求められている
 様々な領域で、システムの変化が早過ぎてルール・法律が追いついていない状況にある。この状況では、明文化されたルール・法律に頼るのではなく、自分なりの「真・善・美」の感覚に照らして意思決定をしていく必要があるはず。旧ライブドアやDeNAの不祥事は「ルール上禁止されていないから、やってもいい」という発想で失敗してしまった悪い例の典型。グーグル社は、社内に人工知能の暴走を食い止めるための倫理委員会を設置していると言われている。「美意識」に従った行動が必須。

(4) 「サイエンス」が偏重される理由~アカウンタビリティの格差
  「論理・理性・サイエンス」と「直感・感性・アート」を主張を戦わせると、必ず前者が勝つ。意思決定の方法を言葉で説明しようとすると、次のようになってしまう。
        「サイエンス」:様々な情報を分析した結果、このような意思決定をした。
        「アート」:なんとなく、フワッと、これがいいかなと意思決定をした。
 サイエンスの方がアカウンタビリティを持つ。現代は、強くアカウンタビリティを求められる状況にある。役員に対する説明、株主に対する説明・・。直感的な意思決定は、言葉で説明しにくいという性質上、どうしても端に追いやられてしまう。
  でも、実は、アカウンタビリティは「無責任」である。間違った意思決定であっても、「あの時はそのように判断することが合理的だった」という言い訳ができる。意思決定者の責任放棄の方便に使われているのである(これは見事な指摘だ)。

(5) 「サイエンス」偏重の会社が不祥事を起こす
    「論理・理性・サイエンス」に偏った経営をすると、レッドオーシャン市場に踏み込んでいくことになる。その中で勝ち残っていくためには、既存事業の枠組みを前提にして数値目標を設定し、ひたすら現場の尻をたたくという「科学的マネジメント」に邁進することとなる。これが粉飾決算だったり労働法規違反だったりを引き起こす。東芝にしてもエンロンにしても、不祥事を起こす直前まで、科学的経営管理を世間から賞賛されていた。

3 中小企業診断士としての視点    
 この本は、上記のような問題点を、たくさんの具体的な人物や会社、ビジネス外の学問成果もフル活用して、わかりやすく説明してくれる。じゃあ、どうやって「直感・感性・アート」を鍛えるの?という部分に対する回答(絵を見に行けとか、詩を読めとか)は少し弱いが、そんな質問をすること自体が「サイエンス偏重」の考え方なんだろう。
 中小企業の視点でいくと、「論理・理性・サイエンス」で経営スキルを戦わせた場合、人も金も情報も十分にある大企業の物量作戦に中小企業はなかなか太刀打ちできない。でも、経営者の「美意識」であれば、大企業の社長も中小企業の社長も同じ土俵で戦える。中小企業の「直感」が生み出した商品が世界を変えるようなことは今後いくらでも起こるだろう。
 こんな視点も、中小企業支援のヒントになるかもしれない。